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【脱出アドベンチャーシリーズ】一章時代考察

一章(1作目旧校舎の少女〜5作目終焉の黒い霧)の時代考察。ネタバレを含むから5作目までは全部やった人だけ見てくださいね!!! 

当然年はずれてる可能性はあるのですが、時系列整理のためにある程度仮定して年表をつけておきます(根拠は後述)

 

 

↓年表↓

1970年頃〜

研究所が建てられるなどする

 


1972年or1978年

第一研究所レポート

 


1976年?

第四研究所レポート

 


1980〜1982年?

死神列車が暴走、御三家に研究所のことが露呈する。ソウタが取り込まる

この時点で第四研究所は既に封鎖されることが決定している(3作目メモ5_2)

第四研究所封鎖

 


1982年

夏にトキノが学生(高2?)キョウと死神列車へ

旧校舎改修工事が終わる

 


1983年4月

死神列車エピローグ(トキノ高3?)

千波(高1)が旧校舎の少女になる

 


1994〜1999年

若留が幼稚園くらいの時

「暗い森の奥には、人喰いの魔女が棲んでいる」の噂が流行る

 


2000年or1998年

若留の両親が交通事故で死亡。若留(7歳)が大継町へ引っ越す

彦道が葵に出会う。

 


2000年

6月15日未明。マモル死亡。クロエおばさんが姿をくらませている(地下室へ行っていた?)

その後クロエおばさんが付近の森で遺体で発見される。自殺と見られる。

葉明館がなくなり、子供達はそれぞれ別の施設や里親のところへ。葵は紫ノ宮家に引き取られる

 


2002年ごろ

優理香が封印の神子になる

 

 

⁇⁇年

御三家の和解

 


2008年or2010年

秀ノ介が転校してくる

旧校舎の少女

梅雨の時期に魔女の住む館

シアワセの赤い石。

終焉の黒い霧

 

 


↓上の年表の根拠となった考察↓

・ソウタが消えたのはいつ?

掲示物の日付は随分と前の物だった』掲示物の日付は7月であったことから、ソウタが死神列車へ行ったのは夏以降?

個人的に、ソウタがいなくなってからキョウが死神列車へ行ったのはそんなに時間差がないと思っているのだが。せいぜい1〜2年?

 

 

・千波が旧校舎の少女になった年

日記帳の日付と曜日に該当する年は

1965年、1971年、1976年、1982年、1993年、2010年

であり、これは第四研究所のレポートの年の候補にも一致する。

千波が死神列車最後で『なんというか、ナウい?みたいな』と言ってて、ナウいがでたのは1979年らしいから1982年が妥当?(ここのバックログの台詞は消えていないためその時間に実在した人物なのだと思っている)

すると第四研究所が封鎖される年は最も近くて1976年であり、千波が迷子になる6年前(死神列車の件から5年前)である。


しかし、ソウタが取り込まれる年には研究所が封鎖されることが決定している。

ソウタが取り込まれてからキョウが死神列車へ行くのはそんなに時間空いてない気がしてて、せいぜい死神列車の年の1〜2年前が妥当な気がするのだが、それだとソウタのメモの「既に閉鎖されることが決定しているらしい」よりもレポートの「本日をもって計画は凍結」の方が前になってしまう。


これについて考えられるのは

・レポートで「第四区画は封印となった」と書かれてるけど実際に封鎖されるまでは数年の間があった

・実はソウタがいなくなってからキョウが列車のことを知るまで数年の間があった

・日記とレポートの年が同じである場合は千波が迷子になるのが4月でレポートが7月なので矛盾する。迷子になったこと自体が繭の影響云々とか、繭で以前動物実験にされた黒猫の影響を受けてるなど。

・単純に制作時に同じカレンダーを見ていただけ(2010年にこの曜日になる)

 

 

・葵さんの年

事件があった年のクロエおばさんの手帳には「10年前あの子たちが来た」と書いてあるだが、葵さんはその年のことを「あれから10年、か…」と言っている。高3なのに実は成人だったのか。あるいは10年(アバウト)なのか。

流石に没年から10年(アバウト)って数えないだろうし、手帳に関しても実質生まれたときからの年数=年齢を数えてるのだし尚更適当にはしない気がする。やっぱり20か。権力行使でJKになったんかもしれん。

 

 

・「10年前」はいつ?

若留の両親が交通事故で亡くなり、若留が大継町に引っ越してきた年(若留7歳、小1)

マモルが亡くなった年(マモル10歳)でもある。葉明館の事件の年は、クロエおばさんの手帳の日付と曜日から

1995年、2000年、2006年

が候補としてあげられる。本当にこれが10年前だと仮定すると、若留が生まれたのは1988年か1993年か1999年となり、トキノが死神列車時に高2だった場合23歳か28歳か34歳で産んだことになる。

23歳か28歳で産んだ場合、赤い石時点でキョウの年齢が39歳か44歳くらいになり「さらに信じられないことに月夜乃はあれで四十近いという噂まである」に近くなるので、「10年前」は1993年か2000年が妥当かなと。

そうすると旧校舎の少女から終焉の黒い霧までは2003年か2010年となる。図書館が改装されて電子機器になるくらいの年代…と考えると2010年だろうか。そうすると「10年前」は2000年に絞られる。

まあ葵さんが魔女の住む館時点で18歳で、黒江おばさんの手帳の方の「10年前」がアバウトだった場合は作中の年やトキノの没年はもう少し早めになると思われるが。

 

 

 

・研究所が建てられたのはいつ?
研究所を建てたのは秀ノ介と優理香の祖父である

「表向きは当主の座を退いたようにみせ、あの忌々しい封印の儀式を根本から変えるため研究に没頭した」

より、少なくとも当主の座を秀ノ介の父親に渡せるくらいの年齢から開始したのだと思われる。また、旧校舎の少女時点で存命なため生年もめちゃくちゃ前なんてことはないはず。

仮に作中で80歳くらいだとしても、1930年ごろに生まれたことになる。仮に40くらいで当主の座を譲ってすぐに研究所を建てたとして1970年ごろだろうか。

 

 

 

・御三家が和解したのはいつ?

少なくとも優理香が神子になり、キョウが当主になった後である。

優理香が神子になったのは、黒い霧での優理香の第一印象が「小学生くらいだろうか?」なので小3と仮定する(流石に当時の話し方的に幼稚園児ではなかろう。大人びてるのでもう少し上でもいい気がするけど分かりませぬ。)

そうなると、優理香が生け贄になったのは2002年くらい……ン?2002年で既に月夜乃37歳くらいですか。あんまり若くない気が…まあ周りが「年寄り連中」ばかりだと相対的に「若き当主」になるのかしらね。そしてその後に御三家の和解、となったはずなのでかなり作中の年に近い時なんだろうな

 

 


まとめ(保険)

ここまで書いたんですけど、当然細かい年は違う可能性があるのであんまり深く受け止めないでください……

特に、千波の日記帳の年が違った場合ほとんど全部外すことになると思うので。

他に何かあったら教えてください。